私の友人に工藤さんという人がいる。神奈川在住だが、ゴールデンウイークの少し前に連休の予定を尋ねたら「青森に行って親戚一同に会い、自分の先祖について調べてくる」とのこと。何それ、めちゃくちゃ面白そう。しかも、その後も調査は続いているという。いったい、どれだけ壮大な調査をしているのか。話を聞いてみることにした。
20万円で家系図を作ってもらった
ほり:今日はよろしくお願いします。そもそも工藤さんはなぜ、先祖について調べようと思ったんですか?(取材で緊張したのか、最初のほうはお互い敬語で話しています。)
工藤:最近、和歌に興味を持つようになり、和歌と言えば藤原定家 (小倉百人一首の編纂でも有名な平安・鎌倉時代の歌人)ということで、その流れを汲む教室に通っています。その教室で知り合ったお姐様が歴史的に有名な歌人の子孫らしく、「自分の先祖も知りたい」と思ったのがきっかけです。
ほり:たしかに自分の先祖を知るのは面白そう。でもどうやって調べたんですか?
工藤:インターネットで「家系図調査」で調べると、そういうサービスをしている業者が何社か見つかって、その中で一番安い業者にお願いしました。それでも20万円かかりました。
ほり:20万円!!高い!!でも、プロに家系図を調べてもらうとなると、それぐらいはするか。
工藤:はい。調査してくれたのは行政書士の方で、僕が委任状を書き、各所から戸籍を取り寄せてもらい、家系図を作ってもらいました。
三之焏が気になる
ほり:この家系図はどこまで遡っているんですか?
工藤:江戸時代末期に生まれた工藤三之焏(さんのじょう)まで遡れています。
ほり:すごい。で、普通はこれで調査完了としてもいいのに、工藤さんは独自にさらなる調査を続けていると。
工藤:はい。2つ理由があって、①さらに遡りたい、②自分の先祖がどういう暮らしをしていたのかを知りたい と思ったんです。
ほり:なるほど……。でも、ここからどうやって調べたんですか?さっそく青森へ?
工藤:いや、まずChatGPTに聞きました。すると、「三之焏」は武士の可能性が高いと言われました。当時、武士の通り名でよく使われていたらしいです。しかし、通り名であるはずの「三之焏」が戸籍に登記されるのには違和感があるとChatGPTに言われました。
ほり:ChatGPT、そんなことまで教えてくれるのか。
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工藤:ちなみに、「奥州工藤氏」で調べると出てくるのですが、もともと、武士の工藤氏が鎌倉時代に東北に住むようになり、東北で工藤姓が広まったと言われています。
ほり:それが何百年も続いていると。
工藤:おそらく。戸籍によれば三之焏は青森生まれなのですが、それから僕の祖父の代までずっと青森生まれです。ずっと青森に住んでいることも武士であったことを象徴している気がします。武士は藩のエリアから出ることはご法度とされていたし、そもそも藩のエリアから出るという発想がなかったと思うんです。その流れが続いているような。
ほり:おお、やっぱり三之焏さんは武士だった可能性が高いんですね。
お寺ルートと武士ルート
工藤:そして、ここから遡る場合にどういう方法があるのかを調べ、家系図の作成に関する本を読みました。そこで2つの可能性に気づかされました。①檀家になっていたお寺に、古い家系図や戸籍が保管されている可能性。当時お寺は役所の機能も果たしていました。②三之焏が武士ならば、藩が管理している史料(藩政史料)に戸籍や家系図がある可能性です。
ほり:お寺ルートと武士ルートだ。
武士ルート:藩政史料
ほり:それで青森へ?
工藤:はい。せっかくなので青森に住む親戚たちに集まってもらうことになりました。彼らに事情を話すと、事前にお寺に当たってもらえました。残念ながら、お寺は一度焼失しており、建て直されていました。
ほり:となると、お寺ルートはダメで、残るは武士ルート。
工藤:はい。藩政史料を当たることになります。工藤家は場所的には南部藩に所属していたので、南部藩の史料を求め、青森の図書館に行きました。
司書さんが楽しそうに調べてくれた
工藤:青森の図書館で司書さんに聞いたら、「まさに力を発揮するときだ」と、すごく楽しそうに親身に調べてくれました。
ほり:こんな依頼なかなか無いでしょうからね。
工藤:結果的に南部藩の史料を読むことはできて、苗字が「工藤」の武士は何人かいたのですが、僕の家系図につながる名前はありませんでした。「半之丞」という武士はいたのですが。おしいです。
ほり:確かに、「はんのじょう」と「さんのじょう」は一文字ちがい。何かしら関係ありそうだけど、偶然かもしれない。家系図につながる決定的な証拠は無いのか……。
工藤家の屋敷へ
工藤:図書館でわかったのはそこまでです。親戚が住んでいた工藤家の屋敷にも行きました。これが間取りです。
ほり:おお、サザエさんの家みたいですね。立派なお屋敷だ。工藤さんが行くのは初めて?
工藤:いや、小さいころに1度尋ねており、今回が2回目でした。いまはだれも住んでおらず、もうすぐ取り壊されます。
ほり:それは残念……。ここにはどの代から住んでいた?
工藤:平次郎の代からです。僕のひいひいひいおじいちゃん(五世祖父)ということになります。写真もあり、感動しました。
工藤:平次郎は僕のおじいちゃんに似ています。親戚の中にはヤヨに似ている人もいて、血のつながりを感じました。
ほり:すごい話ですね。あれ、いま工藤さんから平次郎さんまで辿るときに見つけてしまったのですが、もうひとり三之焏さんがいる?
工藤:はい。それにはしっかりした意味があると思われます。
工藤三之焏が2人いるわけ
工藤:まず、初代の工藤三之焏(さんのじょう)と工藤藤之焏(ふじのじょう)は兄弟。彌之焏(やのじょう)をよく見ると、藤之焏の二男であり、三之焏の養子でもあります。三之焏は工藤家の長男だが、よきタイミングで跡継ぎの男子にめぐまれなかったのではないか。そこで、三之焏は自分の弟の息子を養子としてもらったと考えます。
工藤:さらに、彌之焏はかねと結婚しているが、その子供を見てください。よく見ると、工藤平次郎も養子なんですよ。実の父は木村平右衛門。
ほり:ほんとうだ。
工藤:そうなると、養子、養子と続いているんで、工藤三之焏の血がかなり薄まってきている。
ほり:ふむふむ。
工藤:いっぽうで工藤三之焏は、工藤彌之焏を養子として迎えたあとに甚之焏を授かった。そして、甚之焏の娘ヤヨが生まれ、血の薄まりを戻すため、意図的にヤヨと平次郎を結婚させ、長男が生まれた。これで血を戻したわけです。それで改めて「この子は工藤三之焏ですよ」と。
ほり:すごい世界だ。全然自由恋愛じゃない時代。工藤三之焏から続く血統がいったん薄まったが、元に戻った。それを記念して三之焏と名付けたわけか。


